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12/13:医療情報利用者の生態
先日届いた日経メディカル12月号に「臨床に役立つ文献検索」と言うテーマで特集が組まれていました。内容は主に臨床や研究で絶えず最新の情報を求めている方に対して書かれたものですが、所々、インターネットで健康や医療情報を求めている方にも共通するかと思える記述がありました。もちろんそのまま当てはまるものではありませんが、面白い説明だったので紹介します。


■ 医療情報利用者に求められる姿勢 (P128)

1. 必要な情報は自らが探し、無用な情報は能動的に捨てる。
2. 同じ条件での結論が異なる場合には、その情報の信頼度で情報の優劣を決める。
3. 情報に対する評価がその情報発信者(論文著者や論文解説者)と異なることをお
それない。


■ 文献検索学習者の3段階 (P129)

1. 未熟な全能感

少し学んで情報のありがたみが切実に認識されたときに陥る状態。「情報があれば何
でもできる。経験なんて要らない。ランダム化比較試験しか治療の根拠になり得な
い」と言った発言を繰り返す。その情報以外の重要な要素に気が回らない。本人は文
献検索が楽しいようだが、周囲からは強い反感を買う場合がある。

2. 知ったが故の悲観主義

もう少し学んで情報の質の問題に興味の重点が移ったときに陥る段階。「完璧な研究
なんてない。どの研究も穴だらけ、自分の患者とも状況ともちがう。こんな事では何
の判断もできない」。批判しすぎて手元に何も残らなくなる。論文の方法の項の前半
くらいで読む気が失せてしまい、文献検索の意欲は下がる。

3. 健康的な楽観主義

臨床での判断過程をもひっくるめて理解できる。「どんな情報もある一定のレベルを
クリアしていれば役に立つ。レベル以下の情報であっても、場合によっては重要な情
報と見なさなくてはならないことがある」と納得できる。どんな論文も読むのが楽し
く、文献検索の意欲も高い。

私はインターネットをはじめて触れたときに、世界中のコンピューターのハードディスクにアクセスできる、全知全能を与えられた様な多幸感に浸っていた時期がありましたが、あれは「1. 未熟な全能感」だったのでしょうか。

そしてもしも世界中のあらゆる情報を入手できるとしても、実生活はあまり変わらないものだと感じる今日です。これは「2. 知ったが故の悲観主義」に該当するのでしょうか。


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